NHKとメディア・リテラシー

NHKが、ボストン・レッドソックスの松坂投手がメジャー初勝利をあげたことに関連するニュースを、連日に渡って放送したことについて、尾身幸次財務相が「この種の問題をNHKが毎朝取り上げるのは、ニュースのバランスからみて問題がある」「世界や人類全体の動きを、もうちょっと多く放送しないと、公共放送としての意味が薄れてくる。経済や社会、国際関係のニュースをバランスよく報道してもらいたい」と苦言を呈したそうです。

それに対するNHKの反論は「ニュースバリュー(価値)が高く、国民の皆さんの関心が高いという判断をしました」というものだったそうです。

このNHKの判断基準について、少し考えてみたいと思います。

メディアの伝える内容には、当事者の悪意の有無に関わらず、何らかの偏向が必ず含まれるというのがメディア・リテラシーの考え方です。例えば民放では「視聴率」というものを非常に重視しているといわれています。それはなぜでしょうか。ご存じの通り、民放においては、スポンサー(広告主)からのCMによる広告収入が事業収入の大部分を占めています。スポンサーは費用対効果の観点から、同じ金額を支出するのであれば、当然ながらより効果の高いものを選択したいと考えます。つまり誰も見ていない番組よりも、みんなが見ている番組でCMを打ったほうが、当然宣伝効果が高いわけですね。さらに、民放テレビ局は複数ありますから、同じ時間帯でも、できるだけ視聴率の高い番組のCM枠を買いたいわけです。しかも、経済原則からいえば、視聴率の高い番組のCM枠であれば、それだけの価値があるために、相対的にそのCM枠の価格を上げることも可能になるわけです。民放の社員が「視聴率」に並々ならぬ執着を見せる理由のひとつです。

過去に、あるニュース番組で、スポンサーの業界に批判的な発言をしたら、そのスポンサーが降りた(CM枠の契約を解除した)とか、あるお笑い番組で、スポンサーの会社に批判的なネタを披露したら、そのタレントが番組から降板させられたとか、そういうニュースがあったのをご記憶かと思います。このことは、上記の事実を踏まえていえば、至極当然なわけですね。CMで自社の宣伝効果を高めたとしても、肝心の番組内でそのイメージを降下させることになっては、費用対効果の面では最悪になってしまうわけです。そうなるくらいならCM枠の契約自体しないほうが、出費がない分マシだということになるでしょう。民放の番組にはスポンサーの意向が反映されている、とよく言われるのはこれが理由であり、民放のビジネスモデルを考えれば、事実上、不可避です。

さて、翻って冒頭のNHKの話題ですが、ご承知の通り、NHKにはスポンサーが存在しません。NHKは国民と契約し徴収する受信料が事業収入となっています。いや、我々がお金を払っているのだから、我々がスポンサーである、と思われるかもしれませんが、それは(制度上、建前上は)間違いです。なぜなら、我々はその番組が気に入らないという理由では、契約を解除することはできない制度になっているからです(噂によると全く不可能ではないようですが)。

「国民の関心が高い内容を放送する」のは、そのフレーズだけを聞けば、確かに悪いことではないように思えます。しかし、「国民の関心が高い」=「視聴率が高い」であるとすれば、民放以外にNHKがわざわざ存在する意義とは何なのか、ということになります。大変疑問のある反論だと思います。

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