「メディア・リテラシー」という言葉の意味

昨日のエントリーで「メディア・リテラシー」という言葉をとりあげたものの、それがどういう意味の言葉なのかを全く書いていませんでした。

ということで、本日のエントリーではそこからまず書いてみたいと思います。といっても不勉強な私の表現では心許ないので、私が去年読んだ書籍から引用してみます。

それらによれば、「メディア・リテラシー」とは、「ひと言で言えば、メディアが形作る『現実』を批判的(クリティカル)に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力」(菅谷明子著「メディア・リテラシー ―世界の現場から―」岩波新書 より引用)であったり、「メディアの情報を正しく判断し読み解き(入り込んでいる偏向を解読する)、振り回されることなく(影響を理解し自己コントロールする)、役立てる能力」(井上泰浩著「メディア・リテラシー 媒体と情報の構造学」日本評論社 より引用)ということなのだそうです。

年明け早々、世間を揺るがした「納豆ダイエットねつ造」事件ですが、もしもメディアが提供する情報がもともと「信頼に足るものではない」という認識だったとしたら、こんなに大きな騒動にはならなかったはずです。

もちろん、今回の「納豆ダイエットねつ造」事件については、「メディア・リテラシー」の高い・低いで「ねつ造」が見抜けたり見抜けなかったりするわけではないと思います。しかし、メディア・リテラシーによってメディアが形作る「現実」つまり放送の内容を批判的に読み取ることができていれば、メディアの情報に振り回され、納豆がこれほど極端に品薄になるなどという現象はもしかすると起きなかったのかもしれません。

では、なぜ、メディアの情報を批判的に読み取る必要があるのでしょうか?
それがメディア・リテラシーを考える上でのポイントのひとつです。

・・・と、こんな感じで、不定期になるとは思いますが、メディア・リテラシーにまつわる話題を、このブログでも提供していきたいと思います。

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