アメリカ大統領選挙とメディア・リテラシー

日本ではそれほど注目されていないかもしれませんが、ケーブルテレビでCNNを見ていると、一日中その話題をやっているのではないか、と思えるくらい(ちょっと大げさですが)、アメリカ大統領選挙について大きく取り上げています。

国が違うので当然といえば当然ですが、 日本とアメリカでは大統領選挙についての取り上げ方がかなり違っています。

日本ではちょっとした民放局のニュース・ショーですと、大統領候補として紹介されるのは2人だけ。ヒラリー・クリントン候補とバラク・オバマ候補です。 ニュース番組を一字一句漏らさず食い入るように見ているならまだしも、テレビをつけっぱなしで軽く流して見ている(私もその一人ですが)ような人だと、大統領選挙はこの2名のどちらになるかを争っているのだ、と思ってしまってもおかしくないくらいです。予備選挙の結果で大統領が決定すると思う人もいらっしゃるのではないでしょうか。

実際のところ、上記の2人は有力な大統領候補ではあるのですが、あくまでいち政党(民主党)の大統領候補を争っている状態で、首尾良く党の代表候補となった後に、本選挙で共和党(やその他諸派)の候補に勝利しなければ大統領になれません。

なのに、なぜその2人だけを日本メディアは取り上げるのか。これは、私が偉そうに述べるまでもなく、これを読んでくださっている方もお分かりかとは思いますが、この2人の候補(とその争い)は、メディアにとってニュースバリューが高いからです。もしどちらかが大統領になった場合、クリントン候補は女性初、オバマ候補は黒人初のアメリカ大統領になるわけで、この2人のどちらか1人だけしか最終的な大統領候補になれないという争いの過程も、興味深いものになるわけです。

また、外国の選挙の場合、国内の選挙のように公職選挙法の制限を受けない(と思われる)のも、この傾向に拍車をかけるのだろうと思います。国内の選挙の場合、候補者についての報道に内容の不公平や機会の差別があってはいけないと定められているために、選挙に関連して、ある有力候補について報道したあとは、どんなに泡沫と言われる候補であっても、「そのほか、ご覧のような方が立候補しています」と全候補者の氏名や年齢、所属などについて紹介します。

アメリカ大統領選挙の場合、現在は党の代表を決める選挙で、いわゆる国政選挙でもないので、なおさらそのような面の制約は緩いと言えるでしょう。

「報道しないこと」は、選挙など法令に定められたものを除けば、虚偽や不作為にはあたらないとされることが多いと考えられます。これ自体、「メディアの伝える内容には、当事者の悪意の有無に関わらず、何らかの偏向が必ず含まれる」という、メディア・リテラシーの一種と考えられます。影響の深刻さは、ケースバイケースであると言えますが、上記の報道については、単一的な方向(国外の情報を国内メディアが選別した結果)からの報道のみで判断してしまうことの危険性の一端が示されているといえそうです。